私は西川という名字のために関西のお笑い芸人に間違われることがある。某テレビ局でのこと。スタッフから、「西川きよし師匠にはお世話になってます」とか「西川のりおさんは元気ですか?」と言われた。冗談だと思って、「元気だと思いますよ」とか適当に答えてた。すると、番組が終わった後で、「振込先は吉本興業で良かったですね?」と言われて、首絞めてやろうかと思った。西川にひらがなが付くと条件反射で吉本の芸人だと思う人がいるのだ。
西川隆尋(にしかわりゅうじん)というのは本名で、法隆寺の「隆」に尋常小学校の「尋」という字を書く。両親が坊主のように凝った名前を付けてくれたお陰で、小学生の頃、習字の時間は大変だった。西川はちゃんと書けても、隆尋は大きな黒丸二つになって「西川●●」になることが多かった。算数の1分間テストでは、私が名前を書き終わると他の連中はたいていもう計算し終わっていた。例えば、中一(なかはじめ)というヤツが名前を書き終わっても、私はまだ「西」が書き終わっていない。おかげで計算だけは早くなった。近頃は「千と千尋の神隠し」がヒットして、また法律に関する番組やドラマが増えてくれたお陰で、やっと「千尋」の「尋」とか「尋問」の「尋」と言えばわかってもらえるようになった。
今から20年ほど前、新聞で連載を始める時にデスクから、「西川隆尋では、今の人は読めないし書けないのでひらがなにすれば」と言われて以来、西川りゅうじんと書いている。 幼少の砌のことは、
http://.ch-k.kyodo.co.jp/17kyodo/number07/age17.html
などにもあるし、検索エンジンで【西川りゅうじん】を調べて頂ければ、良いこと悪いこと、ボロボロと出てくるに違いない。
《この不況者(ふきょうもの)めが!》
全国、北海道から沖縄まであちらこちらに伺うが、仕事がうまく行かないのから、夫婦仲が悪いのから、子供の成績が悪いのまで不況のせいにしている連中がいるが、そういうのを“不況活動”と言っている。そんな不況の布教活動はもうSTOPしなければならない。そして、何でも不況のせいにする卑怯な輩を、不況で卑怯なので“不況者”と呼ぶ。そんな連中は「この不況者(ふきょうもの)めが!」と吹き飛ばさねばならない。そんな“不況者退治”が私の仕事である。もう笑う気にもならないって?脱力系オヤジギャグで失礼m(..)m。
バブルのずっと以前、大学在学中の1980年、円高不況や第2次オイルショックで物が売れないと言われていた厳しい時代から仕事を始めたこともあり、何とかバブル崩壊を生き抜き、IT株を買った連中が「ア、イティ!」と頭を抱えるのを尻目にITバブル崩壊も乗り越え、創業以来、まがりなりにも赤字の年なくやって来られた。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/ryujin/diary/diary_001212_geki.html
しかし、“バブルシーラカンス”と揶揄され(休刊した雑誌「噂の真相」に書かれたのがきっかけ。でもそう書かれたの自体が1993年6月号だし、もう12年も前にシーラカンスとはひどい!)、齢を重ね“コヤジ”となり、(私の造語、若いつもりでいるオヤジのこと)、アルコールで脳みそもだいぶ溶けて“アル中ハイマー”になりつつある。
数年前まで髪の毛をくくってポニーテールにしていたら、「ハゲの分際でロンゲ。ロンゲならぬロンハゲだ。自毛を拾い集めてリサイクルカツラを作るとの噂」などとWEBに書かれる始末。それで、小田原鈴廣のかまぼこが抜け毛を防ぐとか、銀座トマトのフカヒレコラーゲンが薄毛に効くと聞いて、日々食べ続けた成果か、髪の毛も戻って来たので、初心に戻り、少しなりともニッポンを元気にするいい仕事をしたいと思っている。
《一期一会ならぬWEB(網)上の“一網一会”》
私の仕事は、商品、業態、施設、イベント、地域活性化などの、マーケティングに関するコンサルティング、プランニング、プロデュースだ。一言で言えば、商人の助っ人、ビジネスの傭兵である。
また、その中で実地に調査分析した情報を元に、大学や研究機関で研究や講義をしたり、新聞や雑誌に寄稿したり、テレビラジオの番組の企画に携わったりもする。自らも以前にはテレビ朝日でCNNのキャスターを務めたり、NHKの「クローズアップ現代」をはじめ、昨今も各局の番組に、時折、コメンテーターとして出させて頂いている。
昨今では、焼酎の人気を演出するお手伝いをさせて頂いた。1997年から鹿児島県商工労働部長と蔵元の連合会からの依頼で、当時は鹿児島県内でも九州全域でも売上が芳しくなく、さらに焼酎の酒税が上がることが決まりピンチに陥っていた芋焼酎や黒糖焼酎を、東京をはじめとする全国の大都市で広めるべく、鹿児島県本格焼酎マーケティング研究会を結成し、様々な手法を駆使してPR活動とチャネル開発に努めた。
http://www.koushinococoro.com/magazine/ma-30_03_01.htm
また、先代社長から奨学金を頂いていたご縁もあり、「六本木ヒルズ」の森ビルのコンサルもさせて頂いている。今は、原宿の同潤会アパート跡地にできる安藤忠雄設計の「表参道ヒルズ」と、上海の浦東地区にある東洋のウォール街である陸家嘴(LU JIA ZUI、ルージャーズィー)にできる世界一高い「上海環球金融中心」の商業施設や演出のお手伝いを中心に取り組んでいる。また、三井不動産による「コレド日本橋」や「三井本館」の最初のコンセプト作りやイベントなどもお手伝いさせて頂いた。
言わば、“不易流行のお披露目屋”だ。他にも、全国の数多くの戦友とも言える企業や官公庁の方々と共に、長期にわたり、あるいは単発でお仕事をさせて頂いている。当ブログは、そんなビジネスの現場の生の熱気を“まんま”お届けする《実録エンターテインメント・ビジブロ(ビジネスブログ)》である。
各々のプロジェクトは、縁あって頂いた仕事である。任せられたからにはいい仕事をしなければ申し訳ない。私や私が所長を務める商業開発研究所レゾンのメンバーよりも、真剣に考え、多くの深い正確な情報を持ち、より良い仕事をしてより良い結果を出せる人がいるかも知れない。ぜひ、全国、全世界の方々から、様々な情報やアイデア・企画・ネーミング等の案があれば教えて頂きたい。一期一会ならぬWEB(網)における“一網一会”があると信じています。よろしくお願い申し上げます。